補綴構造設計士・歯科技工士川島 哲の世界
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歯科技工士になってよかった!!


CONTENTS

PLOFILE  歯科技工士になってよかった!!  Part0(ゼロ):歯科技工の実力
Part1:なぜに川島は積極的に「技術公開」を行うのか?
Part2:福島の女子学生の手記を読んで固まる、歯科技工士を教育する私の役割について
Part3:バリュー(価値)あるものは、存在自信を語らない!!
Part4:ヤングテクニシャンはなぜ積極的にリタイヤするのか? 

Part1:なぜに川島は積極的に「技術公開」を行なうのか?

 小学生のころの昼食は、給食ではなく弁当持参だったが、私の弁当はハムもどき(魚類)で、ご飯に食紅の赤さがべっとりとついており、恥ずかしく弁当を包んでいた新聞紙でつい立てのようにして隠して食べた。金持ちの子のハムは本物で、着色されない自然なものだった。おかずが少ないことも、子供ながらに「いじける」要因だったかもしれない。
 日本歯研工業の鋳造床課を止めた後、池袋の鋳造床専門のラボに就職したが、たまたま、そこの社長とは通路をはさんで席が並んでいた。かけだしの新人の私は何でも興味があるので、作業中でも社長の技法をチラチラ見ていると、肩をつい立てのごとくして隠し、挙げ句には中断し、デンタルタオルをかけて席を立ってしまうのだった。
 私は、午後3時には夜間部の東邦歯科技工学校に行かなければならず、悔やむ気持ちで会社を去るが、翌日には隠された仕事はすでに完成されており、途中の経過を見れず終わった。
 そんなことが私の悶々とした気持ちを大きく変えて、技術”公開”は”後悔”しない主義を今日まで通している。補綴治療の患者さんが快適になる技術や技法があれば、教えてあげればいいだろう。間接的に命と強い関係があるのだからなおさらだ。
 あの”意地悪”な先輩たちはそれでも憎めなかったが、精神的な”ひねくれ者”が何で患者を幸せにできるのかと叫びたい。貧しかった時代の弁当隠しとは意味が違うだろう。 最初の勤務ラボは23歳のときに入社した東京ドラリアム(三鷹市)であった(今は閉鎖したと聞く)。そこの先輩たちは、まだ程度は良いほうだったが、質問すると必ず「自分で考えろ」と言われた。聞いても教えてくれない教育方針(?)にあ然としたが、聞くと必ず「うーん、さっきよりはよくなっている。だけどほかにあるね」と言ってくれた。回りくどいが教えてくれていることには違いなかった。したたかに勉強や生きるすべを知ると、けっこうおもしろかった。



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