補綴構造設計士・歯科技工士川島 哲の世界
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歯科技工士になってよかった!!


CONTENTS

PLOFILE  歯科技工士になってよかった!!  Part0(ゼロ):歯科技工の実力
Part1:なぜに川島は積極的に「技術公開」を行うのか?
Part2:福島の女子学生の手記を読んで固まる、歯科技工士を教育する私の役割について
Part3:バリュー(価値)あるものは、存在自信を語らない!!
Part4:ヤングテクニシャンはなぜ積極的にリタイヤするのか? 

Part2:福島の女子学生の手記を読んで固まる、歯科技工士を教育する私の役割について

 『テクノバリュー』は、私の主宰する「日本補綴構造設計士協会」の機関誌である。この13号に、福島県立総合衛生学院で非常勤講師をしていたころに出会った学生が、手記を寄せてくれた。  その学生はさらに進学もして、リタイヤせずに今も歯科技工士を続けている。彼女の信念は、人間だから多少揺らぐこともあるだろうが、立派に持続している。教え子が年々美しく見えるのも、補綴治療患者の満足感を得られるという職業観のさらなる充実がそうさせているのだろう。  教育とは、教えることよりも教えられることのほうが多い。なぜならば、彼らが理解しない場合は、教師の私が”知らない”という証明だからだ。教師自身の勉強不足は厳禁なのが教育の現場なのだ。非常勤講師がいつのまにか非常”識”講師では収まらない。  世界でもっとも多くの材料や器材を用いる仕事は、歯科技工士かもしれない。金属や鉱物を含め、マテリアルの宝庫の歯科技工はおもしろいに違いないことを、ヤングテクニシャンに、これからも私は教えていきたい。


私の「歯科技工」志望動機

                福島県立総合衛生学院  技工士科2年生 菊池 美季

 私は、母が大好きで、三姉妹の末っ子ということもあり、人一倍母に甘えていました。そんな私が将来の事を真剣に考えたのが中学校二年生の頃で、以前から歯の丈夫でなかった母を見ていて、少しでも母の役に立ちたく、母に良く噛めて痛くない歯を作ってあげたいと思い、歯科技工士を志しました。私は、今まで両親に褒められたくて何事にも頑張っていた気がします。それに加え、私がずっと母に甘え続けていたので、大人に成ったらいっぱい恩返しがしたい一心でした。
 私が高校二年生の時、母は50歳こして資格が欲しいとホームペルパーの資格を取得しました、夜遅くまで勉強している姿はとても頼もしく、私は母を尊敬の目で見るようになり、私も負けてはいられないと歯科技工士学校合格を目標に必死に勉強しました。私が目指した学校には実技のデッサンや粘土細工があったので、高校の美術の先生に教えて頂きながら、放課後毎日練習し、家族や友達、先生方の応援のなか無事合格でき、将来の夢を叶える大きな第一歩を踏み出しました。母は、一番私の近くで支えていてくれて、「頑張ったね!」と泣きながら喜んでくれていたのを今でもよく思い出します。
 母は私の入学式を心待ちにしていたのですが、ホームペルパーの資格を取り、仕事が楽しくて頑張りすぎたせいか、体調を崩し、入学式の当日に入院する事になりました。学校が始まり、実家から1時間半かけて学校に通っている私は、なかなか母の看病が出来ず、もどかしい日々でした。しかし、今の私のすべき事は歯科技工士になるため学校で勉強に励む事と自分自身に言い聞かせ、母や看病している姉や父にはいつも申し訳ない気持ちで日々、学校生活を送っていました。それは、母が退院して、母に恩返しするため・・・・・。
 ある日、いつものように学校帰りに病院にお見舞いに行くと、私は慣れない通学で疲れていたせいか、母の寝ているベッドにもたれて眠ってしまいました。目が覚めると、母は私をじっと見つめて泣いていました。「お母さん、美季と寝れるなんて思わなかった。嬉しい。美季の頑張っている姿を見ると安心するよ。退院したら今度は家族の為に生きるね」と泣きながら言った母の顔が頭から離れません。普段は絶対泣かないのに、母も寂しいんだなと、その時感じました。  それから二ヶ月が過ぎ、母の病状は悪くなっているように見えましたが、学校も忙しくなり、学校が終わってから病院に到着すると、面会時間が終わっていて、看護婦さんに頼んで少しだけ顔を見に行くことが精一杯でした。それでも、私にとっては大好きなお母さんに会える重要な時間でした。それから間もなく、なぜか親戚の叔父さんが駅まで車で迎えに来ていて、まさかと思いつつ病院に向かう途中で姉から電話があり、母が危篤状態である事を知らされました。私は混乱していて、何が起きているのか判断するのに時間がかかりました。急いで病室に行くと、母は私が到着するのを待ちに待って私の声を聞き、安心して息を引き取りました。52歳の若さです。
 私は、悔しくてせつなくて、母に何も出来なかった自分を責める事くらいしか出来ませんでした。母に、恩返しも看病すら出来なかった自分が嫌で嫌でたまりませんでした。母ともっと、あれもしたかった。これもしたかった。と後悔ばかりがのこりました。
 しかし、ないてばかりいたら母が安心して天国に行けないし、自分自身もこのままじゃだめになってしまうと思いなおしました。私は、歯科技工士になるという夢がある!!もう二度と、母に作ってあげるという幼い頃からの夢は叶えることは出来ませんが、母のように困っている患者のため、少しでも多くの人に喜んでもらえる補綴物が作れる歯科技工士になるため、頑張り続け、母を安心させる事で恩返ししていきたい切に思います。
 最後に、私は母を失った事で、得たものもありました。それは、家族・友達・先生方などたくさんの人の優しさに触れることが出来たことです。そのお陰で今まで何とか頑張ってこれました。特に、父には私が母のことで悩まずに勉強に専念できるようにと母の病名(肺ガン)を告げなかった事に、感謝しています。父は一番辛かったと思います。この場をお借りして「お父さん、ありがとう!」
 私は、これからも自分を支えてくれているたくさんの人達に感謝しながら、日々頑張って生きていきたいと思います。



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