「春はまだ来ない」 川島 哲

今年ほど“さくら”を堪能したことはない。夜桜は背景が黒だから映えるし、ライトアップされた枝垂れ桜はピンクの星流のごとくまはゆい。 春の訪れを知らせるシグナルこそ、日本のさくらである。壮年であれはこそ、ことさらに様々な風情を感じることかもしれないが、それだけ本人が加齢したことは間違いない。 「春はまだ来ない」のせりふに当てはまる人が増えているが、さくらの華やかさは皆に平等である。

ところで春の嵐なるあの強風は散歩好きにはつらいが、テキサスでの家屋までも破壊する竜巻となれは比較するまでもなくその規模の弱さに妥協してしまう。 そうそう、たけのこも旬であるが数日前に唐津産のたけのこご飯を賞味した。地中深く掘り出すことの大変さを承知しているので、知人が社員も動員してのたけのこの戦利品は気持ち的に重く、 飲み込むのにためらうが美味しかった。

最近は感激することが多い。たしかに鏡を見ればしわの多さに思わず顔を背けるが、別に皆も同様に加齢すると思えぼ合理化できる。 白石みほチャンもいずれ老婆になる、ただ老婆心ながらその姿を見れないのは悔しさが残る。

デジタルカメラの写真は明暗がはっきりしていて、鮮やかに見えるが反面、暗いところの微妙な表現に語調がなくデジタルの弱点がある。 フイルム(銀塩)のフジのベルビアにしても彩度を強調しアナログも、もはやデジタルに近似するのも困る。高崎市にアークカメラがあるが、 そこのおやじがライカのズミクロンレンズで、とある校庭を撮った写真を見せてくれた。明るい部分だけではなく木陰の情景や校舎内の窓辺に立つ女生徒の姿まで焼きついている。 諧調が徹妙に変化するドイツ人の技に恐れ入るが、それも沈胴タイプで3枚位の小さなレンズで70年も前に、ここまでするかと思えば敬服する。

カメラ業で世界的に勝利した日本人はアナログでもデジタルでも写真そのものの本質においては敗北している。 明暗をはっきりさせるのは好みだと一刀両断されても、さくらや水墨画のトーンを大切にした日本人「魂」を決して忘れてはいけない。 日本の工業製品には、いまだに「春はまだ来ない」状況に変わりはない。さて欠損補綴の春はどうだろうか?