生活の質が”輝き”を増幅させる    川島 哲

西那須塩原インターを出ると、ホッとするような秋の香りが漂うが、それは圧倒的な 樹木の多さによるものだろう。埼玉や東京の荒川沿いのサイクリングロードを走っていると、河川敷には木が”生えていない”。いや植えられていないので、南会津郡の森、木々が一面にある風景は、ことさら新鮮に写る。
 塩原温泉を過ぎると、田島の街道沿いに、ゆったりとそびえる「あらかい歯科医院」が見えた。院長の松本勝利先生の補綴における確率したセオリーと学術面の活躍は言うまでもなく”フェイマス”なので、あえて述べはしないが、補綴へのこだわりは壽常ではない。
 歯科技工士から見てスゴイと感じるのは、印象の高精度だろう。先生の手に掛かった印象は、身震いするほどだ。あの朝青龍みたいなデカイ手が動く様は信じられないぐらい繊細で、芸術そのものと言える。
 家がまばらに建ち並ぶ閑静な住宅街(決して田舎と言ってはいけない)に個室の手術室やPMTC室、技工室、巨大な待合室は、あの米国・オレンジカウンティー郡のDr.シーツ&パケットのオフィスをも質で超えるかもしれない。
 翌朝、福島県立衛生学院の講義に向かった。講義終了後、帰路で車の運転中にふと思ったのは、全国の技工学校や歯科技工所の設備や環境レベルが国際化されていないことだ。当然、歯科技工士の生き様もしかりで、生活困窮(貧乏)の”いっぱいいっぱい”の状態では患者さんを幸せには出来ないはずだ。
 歯科技工士の「生活の質」が問われる現在、国の仕組みの保険制度から見捨てられた歯科技工士は、さまようしかない。しかし、歯科技工士は掃き捨てられても、歯科技工そのものと添い妻をこちらから見捨てることはしない。
 誰でも生きられた時代から、こだわって変革した人間のみが生きられる時代は、努力し能力ある歯科医療人には、とてもラッキーなことかもしれない。
 ただし、どのような職業人でも生活の”質”が伴わない場合は公私ともに”輝き”は期待しにくい。

日本歯科新聞社  2007年10月16日号 掲載