中国人元記者 日本で出版社
「天安門」胸に発言

梅村 雅裕

 東京。池袋の住宅街。事務所を兼ねる一軒家を訪ねると、発送を待つ本が玄関先に山積みされていた。
 「永遠の隣人」「日中和解・共栄への道」−−中国批判の本が目立つ街の書店では、なかなか見かけないタイトルの本ばかりだ。
 「誰もやらないから、私がやるんです」。編集から発送までを一人で手がける段躍中さん(49)は、笑みを浮かべた。

 「若い時からバリバリの体制派でした」。建国の父・毛沢東と同じ湖南省に生まれたことが誇りだった。中国共産党の青年組織、中国共産党主義青年団が発行する全国紙「中国青年報」の記者になれたのも、党の指導に忠実だったからだ。
 日本にやって来たのは33歳の時。「妻が東京の大学に留学し、寂しさに耐えられなかった」と振り返る。
 初めて見た外の世界。何より衝撃を受けたのは、それまで決して目にすることのなかった中国批判があふれていることだった。
 凶悪犯罪が起きるたびに、中国人犯罪組織の存在が取りざたされた。外を歩いているだけで職務質問を受ける。中国人というだけで犯罪者扱いされるのには我慢ができなかった。
 「そこは元記者。言葉には人を動かす力があるという思いがありまして」。来日の翌年、読売新聞の「気流」欄に「外国人留学生の記事、明るい面も報道して」という見出しの投書が載る。これを手始めに新聞や雑誌への投書を繰り返すようになり、採用された文章は100本を超えた。
 中国の良い面も日本人に知ってもらいたい。小さな出版社を設立したのは、そんな思いからだった。

 日本に来てもう一つ驚いたことがある。新聞の風刺漫画だ。政治家が、その人と分かる形で批判されている。「中国なら即逮捕。これが言論の自由なのかと新聞を持つ手が震えました」
 来日する2年前のこと。北京の天安門広場は、民主化を求める学生や市民であふれかえっていた。座り込みを続ける彼らの声に耳を傾ける。が、それが紙面を飾ることはなかった。
 記者が伝えたいことを伝えられない新聞はとは・・・・・。編集局で同僚と泣いた。軍がデモ隊へ発砲を開始したのは数日後だ。記者をやめ日本に渡る決心がついたのは、そんな経験があったからかもしれない。
 天安門事件から19年。この夏には北京に聖火がともり、多くの人が命を落とした広場はマラソンのスタート地点になる。
 国を挙げての招致活動でやっとつかんだ五輪開催。そこから新時代への一歩を祖国が踏み出してくれたらどんなにうれしいことか。
 だが、五輪を目前にしてなお、祖国に変化の兆しは感じられない。ギョーザ事件、チベット問題・・・・。小手先の対応をみていると、世界の厳しい視線を自覚しているとは思えないのだ。

 最近は中国人向けの本も出し始めた。日本の良い面を紹介する本が多いが、それだけではない。政府による言論統制の実態など、内にいては知ることのできない祖国の現実を報告した書物もある。
 祖国への誇りと、祖国が変わらないことへのもどかしさと。二つの思いを胸に出版を手がけた本170冊を数える。
 外にいるからこそ、できることもある。世界の誰もが認める国に−−−その日を信じ、日本から情報を発信していく。

讀賣新聞 2008年4月6日 掲載