不屈のひみつ

プロボクサー 内藤 大助さん

中学時代は「地獄」
 トタン屋根とビニール張りの窓の自宅からは、漁船の出港する音が聞こえた。実家は貧しく、冬でも手袋を買えなかった。
 中学でついたあだ名は、貧乏を意味する「ボンビー」。前後して、いじめが始まった。
 休み時間に階段の踊り場でケリを入れられる。無視されたり、給食のおかずをとられたり。「明日もヤキを入れてやるから休むなよ」という電話がくる。
 抵抗できないため、いじめられても「へらへら笑ってこびを売るしかなかった」と振り返る。毎日のストレスで、ついには胃かいようになった。「毎日が地獄。神様なんて絶対にいない。いるなら、こんなひどい目にあうはずがない」と思った。
 永遠に続くかと思われたいじめ。しかし、いじめっ子と別の高校に進学したことで、あっさりなくなった。
 「いじめに立ち向かえって言うけれど、そんなの無理。それができたら、いじめられていないよ。でも、いつかは抜け出せる。解決できる。自分も変われる。それがわかって世界が変わった」

 連敗からの復活
 次の転機は、就職に失敗し、上京したことだった。近所にボクシングジムがあった。「強くなれば、二度といじめられないはず」という思いで入門。練習はきつくても、仲間がいて、自分を評価してくれる人がいる。楽しく仕方なかった。
 96年のプロデビュー戦を、1ラウンドKOで飾る。98年には、全日本フライ級新人王も獲得した。そして、2002年4月、WBC世界タイトルを保持するタイのポンサレック・ウォンジョンカム選手に挑戦した。意気込んで臨んだが、結果はわずか1ラウンド、34秒でのKO負けだった。インターネットの掲示板では「日本の恥」「恥ずかしい男」と罵声を浴びせられた。
 05年に再挑戦するが敗退し、世界の壁を感じて引退を決意。記念旅行にセブ島へ出かけた。
 ところが、「俺、負けた。リタイア」と言ったところ、現地のボクサーたちは、「次の試合は?」「なぜリタイア?」と、意外そうに尋ねてきた。
 張りつめていた気持ちがふわっと溶けた。「面白い。こいつらとまたトレーニングしたい」と再挑戦を決める。3度目の挑戦は07年7月。悲願の世界タイトルを獲得した。
 いじめられていた時代を思いだしても、もうつらくはない。「強くなって自分に自信をもてたから。俺はもう二度といじめられない」
 では強さとは何か。世界一強いこぶしを持つ男にそう尋ねたら、しばらく考えた後、「力じゃない。心の強さ」という答えが返ってきた。

(鈴木 美潮)

讀賣新聞 2008年5月20日 掲載