重圧 お守りのみ込む
日本の100年 第二部 なでしこたち

満州事変後、日本に対する非難の声が上がる中、1932年ロサンゼルス五輪が行われた。前畑秀子は、二百メートル平泳ぎで、豪州選手に0秒1の差で2位。帰国した前畑は、祝賀会で立派な身なりの老人から言葉をかけられ、お祝いムードに冷や水をかけられる。「なんで金メダルを取って来なかったかね?」
 理不尽とも思える期待に、前畑は必死で耐えようとした。中川佐和子(85)は女学校時代、合宿所で前畑と同室だった。「当時、練習プールは、井戸水をくんできた。春先でも水温は13度。プールサイドに風呂を沸かしてもらい、泳ぐたびに体を温め、また泳いだ」。前畑は1日2万メートルのノルマを課し、朝5時に起きて練習を始め、眠い朝は「10分の1秒に勝つんだ」と叫び、自分を奮い立たせたと記されている。
 36年ベルリン五輪に向けて出発する前畑のもとに、全国の支援者からお守りが届いた。「義母はそれを風呂敷に包み、大切にしていたそうだ」と前畑の次男の妻、兵藤尚子(62)は振り返る。五輪の決勝直前、前畑は、洗面所に駆け込むと、お守りの一つを丸めてのみこんだ。「義母は後年、『今思うとおかしかった』と言った。でも、神頼み以外にすがるものがなかった22歳の胸中は、大変だったろう」という。
 ヒトラーが国力を誇示するために開いたとされるベルリン五輪。欧州中を回った聖火リレーの情報が後に、ドイツ軍侵攻の資料に利用されたとの説がある。
 当時讀賣新聞によると、前畑とゲネンゲルの一騎打ちは、ドイツ国内で注目の的となった。決勝当日はスタンドに軍服姿のヒトラーが現れ、異様な雰囲気に包まれた。前畑が激闘を制すると、会場が静まりかえった。
 五輪後に、記録映画「美の祭典」が作られたが、ドイツ国内では前畑が勝った場面のみカットされた。

讀賣新聞 2009年2月11日 掲載