運転席 父が譲る

主婦 森下多津子 61 (静岡県三島市)

運送業をしていた父は、仕事を辞めると、ゲートボール仲間の送迎用にワゴン車を講習した。暇な時は家の中からバス停を見ていて、乗り遅れた知らない高校生を送って行った。そんな日は「今日は○○高校までドライブしてきた」とうれしそうに話た。運転に自身があったからか、ハンドルを人の手に任せるのを嫌がった。
 父が病気となって入院する朝、「どうせ自分で行くと言ってきかないだろう」と思いながら実家に行くと、私の車に乗り込んできた。父はそのまま病院で亡くなった。父を車に乗せたのはそれが最初で最後だった。  

讀賣新聞 2009年10月4日 掲載