不祝儀「500円」に不快感

(兵庫・E子)

50歳代主婦。夫が亡くなり、葬儀は身内とごく親しい方々だけで執り行いました。1週間後、私の趣味仲間の女性たちが「お参りをさせてほしい」と訪ねてこられたので、茶菓でお迎えしました。供物は近所の雑貨店で購入されていたので、お返しに失礼があってはと調べてみましたら、1人500円弱のものでした。
 贈り物は気持ちで十分だと私は考えていますが、結婚祝いや不祝儀などに関しては一般常識の範囲というのがあるのではないでしょうか。見識ある仲間と認めて20年近く付き合ってきただけに、驚きました。果たして分別ある立派な大人の行動なのか、少し首をかしげてしまいました。
 半返しは金額的に探すのが難しくて、結局、ほぼ同額のものを選んでお返ししました。いただいておきながら、不快に思う私の方がおかしいでしょうか。

眉村 卓 (作家)

私見を申し述べると、これはあなたが、あなたの常識を一律に他人に適用しようとしておられるように思えます。
 身内だけで葬儀をなさるのも、その後のお参りに来られた方の供物を受け取るのも、当然ながらあなたたの自由ですが、世には葬儀自体をしなかったり、変わった形式にしたり、供物一切を辞退したりする葬儀もあって、故人の遺志や遺族によって、習慣・主義・なりゆきなどでさまざまです。参列やその後のお参りにしたって、当人の自己判断で行われるものでしょう。
 あなたはお返しをどうしようかと苦心なさったようですが、先方はお返しはなしというつもりだったのかもしれません。あなたとしてはあなたなりに「適当に」対処するだけでいいではありませんか。
 そもそもが、見識ある仲間なるものが、あなたと同じ一般常識を持っているはずというのが、私にはいささか奇妙に思えます。それでは見識というより単に同類であることを求めているに過ぎません。他人には他人のやり方があるようだ、くらいの気持ちになってください。
 それともあなたは、「軽く見られた」と腹を立てているのでしょうか。だったら忘れてしまうことです。

讀賣新聞 2009年10月8日 掲載