環境問題の解決 「善意」だけでは・・・・・

保坂 直紀

先日、ある社会心理学者から悩ましい話を聞いた。世の中には、善意から出る不合理な行動というものがあるというのだ。
 彼が例に挙げたのは、ペットボトルのキャップの回収だ。8000個で、途上国の子供1人にポリオワクチンを贈れる。だが、キャップを宅急便で送れば、その費用は、キャップを換金して得られる金額よりも高い。ワクチンだけを考えるなら、運搬費で直接ワクチンを買ったほうが多くの子を救える。
 もちろん、キャップの回収運動には再資源化という目的もある。これを機に資源の大切さに気を配る市民が増えるなら、単純には計算できないほどの利益がもたらされるかもしれない。
 キャップの回収に協力する人は、おそらくそのほとんどが善意の人だろう。たとえ自分の行動がその場で合理的に説明できなくても、人は「環境対策や人助けに役立った」という心の整理を求めるものなのだという。
 我が家の車は、ガソリン1リットルで8キロ・メートルしか走らない。だが、うかつに買い替えれば、車の製造工程で地球を汚すことに、わたしも加担することになる。喜んで乗り回すようになってしまうかもしれない。それでも、燃費の悪い車を持っているのは居心地が悪い。買い替えが合理的かどうかはともかく、たしかに心の整理をつけたくなる。
 本当に地球環境のことを考えるなら、なにをすべきなのか。それがわかりにくく、ときには人の善意のままにならないところに、環境問題の社会的難しさがあるのだろう。

讀賣新聞 2010年4月22日 掲載