悲しみを抱いて人間丸ごと診る

埼玉県川越市 帯津三敬病院 帯津 良一(医師)

西洋医学中心の医療の問題点からお聞きします。
西洋医学は、細胞から遺伝子へとより小さな要素に還元して病気をとらえ、体の一部しか診ない。今の医療は、患者の悲しみを和らげるどころか、例えば、抗がん剤を拒否するとよその病院に行けと言われるほど悲しみを与えている。今までもあまり改まっていないが、先生の一言で患者はぐっと悲しみに沈み、この状態では免疫力は働かない。日常生活でわれわれにこんな悲しみを与える状況はめったにない。
 患者を壊れた機械と思い、自分はプロフェッショナルな修理工という図式だとそういう言葉が出てくる。故障を治す感じで、再発して抗がん剤も無理で処置できないと非常に冷たくなる。まして死ぬ場面なんか自分たちの仕事じゃないような顔をする。
 互いの悲しみを敬い合い、病気になる前よりもっと悲しくはさせない、悲しみが減る医療ではないと医療の意味をなさない。

 人間を丸ごと診る「ホリスティック医学」とは具体的にどういうものですか。
患者さんとの話し合いで心、養生、食事、気功の問題を組み立て、西洋医学で何ができるか考えます。
 心理療法のチームがイメージ療法などで患者さんの抱いている不安を和らげ希望を抱くようにサポートする。自然治癒力を高める養生では漢方薬など代替療法をやる。命のエネルギーを高める気功は、院内道場で週十三種類計二十八コマを実施している。医師は適応があれば化学療法も勧める。突発的なことに対処するため西洋医学のレベルは水準以上を持っていないとだめです。

 病院の雰囲気は。
看護師や鍼灸師、薬剤師など他のスタッフも患者さんと接触をまめにして、患者さんが皆に支えられているという気持ちを持つようにきめ細かくやっている。
 週一回の回診も、教授らのものとは違い、医師や鍼灸師、心理療法士などさまざまな職種の人が一緒に回るので患者さんは自分の悩みを分かってくれる人を探しやすい。
 朝、患者さんと戦略会議と称して治療法を検討しますが、玄米菜食だけでなくたまにはカツ丼とか。どういう事態であろうお日常生活にときめきを持ち、免疫力や自然治癒力を上げることが大切です。

 確かな人間愛がないとできない医療ですね。
若いころは手術しか関心がなく、再発してもあまり親身ではなかったし、今と違って嫌いな医者でした。でも、経験や読書で、人間の本質が悲しく寂しいものと分かった。
 心理療法チームを作った当初、人間は明るく前向きな方がよいと思ってやっていたが、検査結果など医師のひと言で奈落の底に落ちる患者さんの様子を見て間違いだと気付いた。生きとし生けるものは皆、悲しみや寂しさを抱いて生きている。患者さんの悲しみをいとおしみ、互いに敬って少しでも幸せにしてあげたいと思うようになった。
 人間とは心の持ちようによって病状の推移は大きく変わると早くから分かっていた。
 治療がうまくいっている患者さんが、配偶者から離婚を突きつけられ、がたがたと悪くなるのはざら。体の故障だけでななく、患者さんの心や命にも常に目を向ける医療が全国的に行われるとすれば、がんも特効薬がなくても、よい経過をたどる人が増えてくると思う。
 二十世紀の西洋医学が積み残した病気は体だけでなく心や命が深く関係している。西洋医学の外科医はそのフォローをなるべく考えないようにし、高度のテクニックに還元しようとするから成績がよくならない。
 心とか命をしっかり診ていくことを考えないといけない。生命の多くが未解明とすれば、可能性のある方法はどんどんやればいいし、直感も想像力も大いに使う。即在の医学の枠組みだけで考える必要はない。

 そんなホリスティック医学との出会いは。
家業はおもちゃ屋でしたが、寡黙な父が接客で苦労している姿を見て、あまり人としゃべらない職業がいいと医師を志した。
 東京都立駒込病院で食道がん治療にかかわっていた時、医療技術は進歩しているのに、患者さんの五年生存率は20%以下で、再発率も下がらない医療に疑問を持った。
 生存率が高く、陰陽説など部分と部分のつながりを診る中国医学が実績を上げていることに注目し、中国の医療機関を見学に行った。将来、医学は総合医学になるのではと予感がして開業して「中西医結合」を始めた。
 そのころ、六〇年代に米国で生まれた、体だけでなく、心(マインド)や精神(スピリット)も人間丸ごとを診るホリスティック医学に共鳴した若手医師らと付き合うようになり、付き合いの中で自分のやっていることに心の問題が欠落していることに気付いた。それで心理療法士らと心に働きかける医療も始めた。  治療法の寄せ集めではなく、水面下で統合したシステムとして確立したい。こんな私に、ある作家は「ホリスティック医学とは形ではない。患者と家族、医療者それぞれがつくる場の中で、生と死の物語を展開していく。それでいい」と言ってくれましたが。
 病のステージだけでは人間丸ごと医療にならない。生老病死の全ステージに付き合う。人間は一度は死ぬ存在。死から一切目を背けた医療は成り立たない。自然と人の一生を相手にするととらえるようになってきた。今も道半ばですが。

 ご自身、どんな死生観をお持ちですか。
夏目漱石の死生観が好きです。死んでも自分はある。死んで初めて本来の自分に返れると彼は言う。闘病生活ではやっぱり天国を信じることができる人の方が、死の恐怖は明らかに違う。日本だって仏教があり、虚空に返ると考えてもいいのではないか。生老病死の中で、治療しながら、誰しも訪れる死に向かっての覚悟をつくることも必要ではないか。
 この世は助走路みたいなもの。私は日々、命のエネルギーを高め続け、死ぬ日を最高に持っていき、死後の世界に飛び込むことを楽しみに生きています。行ける所まで行って、漱石と同じで、ばたんと斃れればいいと思っています。

東京新聞(夕刊) 2010年6月25日 掲載