米国の胃ろう事情
「看病したい」気持ち尊重

「胃ろうをつくることに利点があるかどうかより、全体的にどのような看護をするのが最善なのかを考えなければなりません」
 ハーバード大医学部教授のミュリエル・ギリックさんは、終末期を迎えた認知症患者への看護のあり方について、こう話す。
 老年科医で緩和ケア医でもあるギリックさんは2000年、高齢で重度の認知症患者に胃ろうをつくっても、食べ物や唾液が細菌とともに気管に入る誤嚥性肺炎の予防や延命には、つながらないとする論文を米医学誌に発表した。
 終末期を迎えた認知症患者への胃ろうは、意味がないと考えている。患者の家族が相談に訪れて場合も、胃ろうをつくるという選択肢は示さない。
 だが、それでも胃ろうにしてほしいと強く希望する家族の願いは、断らない。胃ろうをつくることが正しい看護のあり方だ、と考える人のことも尊重する。
 米北東部のブルックラインに住むスージー・レビさん(55)は11月6月、認知症だった89歳の父親を亡くした。口から食べられなくなったため、亡くなる約1年前に胃ろうをつくった。
 父親はニューヨーク市で母親とともに離れて暮らしていた。認知症が進行したため10年3月頃、胃ろうにするべきかどうか悩み、医師や牧師に相談した。
 その結果、レビさんの母親は「命があれば希望がある」と、夫に胃ろうをつくることを望んだ。レビさんも「父を餓死させるわけにはいかない」と母親と同じ考えだった。
 亡くなる数日前、レビさんは、息子とともに父親を見舞いに行った。すると、父親は「お母さんを大切に」と息子に言った。レビさんは「亡くなる直前まで、家族の顔を認識できました。胃ろうにしたことは後悔していません」と話す。
 ギリックさんは「胃ろうをつくることで、家族にとっては、手を尽くしたとの充足感が得られることもある」と分析している。患者にとって医療的な意味はなくても、看病したいと考える家族の気持ちの応えることになるというのだ。
 その上で、ギリックさんは、高齢者で重度の認知症患者の終末期に対する看護のあり方について、こう提言する。
 「認知症は治らず、生活の質も低くなる病気です。延命にはつながらなくても、患者の手をとる、キスをする、抱いてあげる、服を着せてあげる、体をきれいにしてあげるといったことも、重要なのではないでしょうか」
讀賣新聞 2012年9月25日 掲載