補綴構造設計士・歯科技工士川島 哲の世界
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たっちゃんの関係法規
  その53 「日本の領土問題 竹島と日本海」  

内藤 達郎
(PSD)日本補綴構造設計士協会 相談役(法律)

日本と韓国の領土問題を考察するには、両国の歴史区分からのアプローチが基本的に必要である。両国の関係は「日韓併合時代」、「李承晩時代」、「サンフランシスコ平和条約締結時代」、「経済友好協力時代」とそれぞれの時代の利害得失によって複雑に絡みあっている。竹島問題は特にサンフランシスコ平和条約締結と不可欠な関係にある。
 竹島は松江市の北西約220km、韓国ウルチンからだと東約215kmにあり、東西二つの島と数十の岩礁からなる。総面積は0.21平方キロしかなく、水が乏しいため定住には適さない。江戸初期から島周辺で漁を営んできたとの記録が日本にはある。1905年、島の領土編入を閣議決定し、2月22日に島根県が隠岐の所管と告示した。だが同年、日本は当時の大韓帝国の外交権を握る第二次日韓協約を締結した。それが5年後の日韓併合につながっていく。こうした経緯から韓国側は「日本の植民地支配からの象徴」と捉えているようで、戦後の54年から警備隊を常駐させているのである。
 これらの諸条件を勘案し竹島問題をきわめて単純な構図として見れば次のようになる。
 1. 1905年以前に韓国・朝鮮が竹島を実効支配した歴史的事実は存在しない。竹島を描いた地図すら存在しない。
 2. 1905年の日本による竹島編入は国際法の手続きに完全に合致し¬ている。
 3. 第二次大戦後、1951年サンフランシスコ講和条約にて、連合国¬は竹島を日本領としてとどめる決定した。
 4. この国際的な決定はラスク文書等の外交文書により、合衆国政府か¬ら韓国政府に告知されたが、韓国はこの決定を無視して、19¬52年李承晩ラインを一方的に引き、竹島の 不法占拠を続けている。
 以上のことは次の2点の記録映像から容易に確認できる。
竹島が日本領である究極の理由: サンフランシスコ講和条約とラスク文書
韓国に竹島を描いた古地図は存在するか: 日韓古地図の比較
領土問題の前提条件として明記すべきことは、日・韓関係は日・ソ関係、日・中関係と違って敗戦国・戦勝国の関係ではないということだ。つまり、太平洋戦争終結時には朝鮮半島は日韓併合から開放されたが、国際的・歴史的に見ても韓国は日本に対して戦勝国にはなり得ない。したがって韓国は戦後日本から独立し、竹島は朝鮮半島に属するという単純な説にはかなり無理がある。当時は日・韓関係に日本を占領していた連合国が介在していたからである。つまり、韓国は日本から独立下のではなく、アメリカ主導の連合国から独立を認められたのである。これがあの悲劇的な東西対立の冷戦構造(防共ライン)を決定づけた南北朝鮮戦争(1950年)勃発につながっていくのである。
 竹島問題は1951年のサンフランシスコ講和条約の条文(映像参照)がすべてである、というのが一応の結論になる。日・韓両国がある時代を捉えて短絡的に「歴史的に古来より我が固有の領土」といってもあまり意味を持たない。それを主張している限り「百年河清を俟つ(常に濁っている黄河の水が澄むのを待つように、いつまで待っても実現の宛てがないこと)」ことになるおそれがある。
 連合国の支配下にあった日本が対日講和条約締結でやっと実質独立出来たが、外交力も軍事力もままならず、翌年に引かれた一方的な李承晩ラインに反発することも出来なかった。連合国の思惑を無視したあの李承晩ラインは朝鮮動乱を長期化させ、日本漁船の拿捕により日本国民の反発は大きかった。このことは日本の朝鮮戦争には参戦しない理由付けになり、朝鮮動乱特需という皮肉な側面もあるが・・・。
 日本は国際裁判所への提訴を考えているが、韓国が同意しない限り裁判が成立する見込みもない。竹島の帰属を争うより、共同管理してお互いの国の地下資源や漁業利益を誘導できないものか。模索はつづくどこまでも・・・。

被爆教師と子供の碑

内藤達郎撮影

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