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たっちゃんの関係法規
  その55 「尖閣諸島の領有権について その2」  

内藤 達郎
(PSD)日本補綴構造設計士協会 相談役(法律)

領土問題の重要ポイントである日中国交正常化交渉における約束事と、サンフランシスコ講和条約(1951年)と同時に調印された日米安保条約に関してアメリカの立場、それに東西対立を優位に構築するための思惑について考察する。

 まず、中国側「棚上げ論」の根拠は、1972年の日中正常化交渉での尖閣に関するやりとりと1978年の ケ小平発言。尖閣について、「中日国交正常化の際も、双方はこの問題に触れないということを約束した。…こういう問題は10年棚上げにしても構わない」などと述べた。
中国側は、当時日本各界がこの ケ小平発言に共鳴した「棚上げ論」は、日中間の了解事項だったと主張する。2010年、日本政府が中国漁船船長を公務執行妨害罪で 「送検」したことは、この日中「了解」に反すると言いたかったのかもしれない。
 一方、日本政府は日中間に尖閣を「棚上げ」する了解や合意など一切存在しないと主張する。1972年、国交正常化の際、当時の周恩来総理は「棚上げ」論に言及しておらず、かの ケ小平発言も彼が「一方的に言った言葉」であり、「合意」ではないという。
 確かに法律上はその通り。尖閣「棚上げ」について法的拘束力ある国際約束などあるはずがない。だが、行政府ではなく、「政治レベル」ではどうか。日本側が尖閣諸島について主権行為を自制する言動は本当になかったのだろうか。客観的にこの両国の言い分を吟味すると、日本側の論法に少し無理があるようだ。
 つまり玉虫色の解釈の上に成り立っていた「棚上げ論」を、日本が国有化宣言をすることでより一段と複雑にしてしまった感が強い。尖閣諸島海底の地下資源については未知数であり、両国間の経済関係の悪化など失うものの大きさに注目すべきである。もう少し当時の歴史を検証してみる。
 中国政府は,1943年「カイロ宣言」,またその後の1945年「ポツダム宣言」を日本が受け入れた結果,尖閣諸島は台湾の附属諸島として,台湾とともに中国に返還された旨主張している。また,中国を排した状況で締結されたサンフランシスコ平和条約により米国の施政下におかれることとなった南西諸島に尖閣諸島は含まれておらず,1953年12月に米国政府は『琉球諸島の地理的限度』を発表して米国の管轄範囲を無断で拡大し,1971年に米国が沖縄の施政権を日本に返還する際に尖閣諸島もその返還地域に組み入れられた。と主張している。
 サンフランシスコ平和条約第2条(b)により,日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄しましたが,尖閣諸島はここにいう「台湾及び澎湖諸島」に含まれていない。尖閣諸島は,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき,南西諸島の一部として米国が施政権を現実に行使し,また,1972年の沖縄返還により日本が施政権の返還を受けた区域にも明示的に含まれる。と言うのが日本の主張である。
 しかし、ここがグレーゾーンであり、沖縄返還時に尖閣諸島が含まれるとどうかは極めて不透明というほかない。当時の中国は分裂しており、毛沢東が蒋介石を台湾へ追い出して中国本土を占領した中華人民共和国政府と、台湾で本土主権回復の機会を待つ蒋介石率いる中華民国の暫定政府があり、日本は毛沢東の反乱政府を国家として認めていなかったため、中華民国(台湾)と調印した。

 このような背景から日本とその周辺諸国との複雑な関係を引きずりながら戦後処理は始まった。1951年に調印された講和条約は日本と連合国との戦争終結を再確認するものであったが、竹島も尖閣諸島も日本の領土かどうかは明確にしなかった。現在に至る韓国や中国とのあつれきの一つの端緒を作った条約ということができる。
 この曖昧な決着の背景にアメリカの思惑があったのではないかというフシがある。それは東アジアの不安定要素をあえて残し、アメリカの存在感を戦後も際立たせようという思惑である。最近アメリカのクリントン国務長官は、尖閣は日米安保でいう適用対象に入るが、領有権については関知しないと発言している。

「瀬戸の朝焼け」

内藤達郎撮影

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