補綴構造設計士・歯科技工士川島 哲の世界
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たっちゃんの関係法規
  その56 「北方領土問題の歴史と経緯」  

内藤 達郎
(PSD)日本補綴構造設計士協会 相談役(法律)

17世紀以前の蝦夷地(北海道)は先住民族アイヌとの間に交易があったようだが、あまり知られることもなく未開地であった。戦国時代には北海道南西部の渡島(おしま)半島辺りを豪族が支配していたが、1604年に徳川家康によって豪族の流れをくむ松前氏に蝦夷地の支配、アイヌとの交易独占権が与えられ、以後松前藩に蝦夷地の管轄が任されるようになった。しかし、最初の頃は渡島半島の南部を和人地、それ以外を蝦夷地と定め日本人(和人)が蝦夷地と通交することは制限されていた。千島海峡からカムチャッカ半島に連なる島々の存在が明確になり始めるのは17世紀に入ってからである。

 領土問題に関する日本の立場は、はサンフランシスコ講和条約に調印し千島列島・南樺太を放棄したが、日本が放棄した千島列島に北方領土は含まれていない。千島に属するというソ連の意見があったにせよ、ロシア自身この条約に調印していないのである。また 、サンフランシスコ平和条約の起草国である米国は、北方四島(国後・択捉・歯舞・色丹)は常に固有の日本領土の一部であり、かつ、正当に日本の主権下にあるものとして公式見解で日本の立場を一貫して支持している。

 一方ロシア側は、サンフランシスコ講和条約において日本は千島列島を放棄しており、その範囲においては、条約批准前後の衆議院外務委員会に於ける島津久大政務局長の発言、衆院特別委員会に於ける西村熊雄条約局長と草葉隆圓外務政務次官の発言で、それぞれ「南千島は千島に含まれている」と答弁している。但し、西村・草葉は歯舞・色丹に関しては千島列島ではないと答弁した。当時の日本国の辞書では択捉島と国後島を南千島として表記している。

 このように「千島列島」の解釈(概念)の違いから、日本政府はロシアの北方領土占拠は不法だとして、一貫して4島返還を要求している。一方、北方領土はロシアが60年以上も実効支配を続け、現在約17,000人ほどのロシア人が生活しているのも現実なのだ。これは昭和20年当時、この地域に暮らしていた日本人の数とほぼ同じである。ロシアは「クリル発展計画」として、この地域においてもインフラの整備などを行い、自国の領土であることをさらにアピールしようとしている。
 両国が「問題あり」と存在を認めている北方領土は、戦争末期の不幸な出来事を語るだけでは解決できない問題である。日本にとってロシアとの平和条約締結は、北方領土抜きにしては語れない問題になっている。日本人の立場としてはこの問題を忘れることなく、ロシアへの理解を深め、国際交易地域に指定するなどのグローバルな観点から北方領土の有効利用を探っていかなくてはならない。



内藤達郎撮影

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