補綴構造設計士・歯科技工士川島 哲の世界
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岡島 秀樹 ボストン・レッドソックス投手(32歳)

  岡島 秀樹

英語ができなくても仕事で結果を出す
 独自のスタイル貫き、世界一に


−−まずは昨年のワールドシリーズ優勝おめでとうございます。岡島さん自身、入団1年目でレギュラーシーズン66試合に登板、69イニングで3勝5セーブ、防衛率2.22と素晴らしい成績を収めました。

 ありがとうございます。昨年渡米する前に、記者の皆さんに「笑って日本に帰ってきたい」と言いました。プレーオフに出場し、ワールドシリーズに勝ち、世界一になって帰ってくるという意味で言ったのですが、本当にその通りなるとは・・・・。100点満点、最高の1年でした。
 自分の成績に関しては、メジャーリーグは試合数も日本より約20試合多いですし、普段通りの力を発揮できれば、60試合は登板できると思っていました。9月にケガをして2週間ほど投げられない時期がありましたが、それ以外は大きな故障もなく、1年間働くことができたのが好成績につながったと思います。自分を信じてメジャーに挑戦して、本当によかったと実感しています。


−−5月に19試合連続無失点の記録を作るなど、最高のスタートを切りました。メジャーも大したことないと思ったのではないですか。

 いえ、その逆でした。デビュー戦のカンザスシティー・ロイヤルズ戦で8番打者にいきなり初球をホームランされましたから。ジェイソン・バリテック捕手のサイン通り、外角低めのいいコースにストレートを投げ込んだのですが、それを軽々とセンター最深部まで運ばれた。これはまずいと思いました。あのボールを8番打者にホームランされるなんて、日本では考えられません。しかも初球ですからね。もう1アウトも取れないんじゃないかと、相当なショックを受けました。
 ただ、今振り返ると、いきなり打たれたことがよかったのかもしれません。あの1球でいろいろなことが分かりましたから。日本で通用した外角低めのフォーシーム(きれいな回転の直球)は、リーチがあって踏み込んでくるメジャーのバッターにはど真ん中の絶好球になってしまうこと。8番バッターでも、、ホームランを打てるパワーを持っていること。自分を変えていかないと、このままでは通用しないということ−−。
 ホームランを打たれた夜に、これからどうしたらいいのか、いろいろ考えました。そして、自分の進むべき道、やるべきことが明確になってきたのです。


−−具体的にどのような行動を取ったのですか。

 まず、フォーシームは、その後ほとんど投げませんでした。次に、それまでの固定観念を取っ払いました。初めて対戦する投手に対して、いきなり初球をフルスイングしてくるのは、日本では普通、考えられないことです。日本なら初球は見逃して、この投手はどんなボールを投げるのか球筋を見ようとしてきますから。  メジャーには「待つ」「見る」というセオリーはありません。初球からガンガン振ってくるので、安易にストライクを取りにいかないようにしました。たとえ8番9番の下位バッターであっても、クリーンアップ(3〜5番の中心打者)だと思って投げるように気持ちを切り替えました。

−−岡島さんは日本では縦に大きく曲がり落ちるカーブが決め球でしたが、メジャーではここぞという時に直球と同じ軌道でスピードの遅いチェンジアップを投げていました。そのチェンジアップで面白いようにメジャーの強打者を手玉に取った。どうしてカーブからチェンジアップに決め球を変更したのですか。

 メジャー挑戦が決まって、渡米する前に日本でメジャーのボールを使ってみたところ、カーブが全然曲がらなかった。ボールが日本のものよりも重くてツルツル滑るし、縫い目もガタガタなんです。僕のカーブは縫い目に指をかけないで投げるので、曲がらないわ滑ってすっぽ抜けるわ、こんなカーブでは確実に打たれると悟りました。逆にチェンジアップは、日本のボールより変化が大きくなったので、これは絶対に通用すると確信しました。
 だから、オープン戦ではあえてチャンジアップを投げなかったのです。カーブピッチャーと思わせておいて、シーズンに入ってからチャンジアップを多投しました。それが功を奏したと思います。


−−英語はいかがでしたか。チームメイトと楽しそうにコミュニケーションが取れていたように見えましたが。

 実は英語は全く使っていません。キャンプ中に先生に習って勉強したのですが、その時点で、もう無理だなと思いました。僕は不器用だし、英語は得意ではなかったので、英語と野球を両立するのは到底無理だと判断しました。
 ではどっちを優先させるかと言えば、野球に決まっています。野球ができなければ、いくら英語を話せても意味がない。仕事として野球を選んだわけですから、英語はできなくてもいいから、野球を頑張ろう。野球がすべて、結果がすべてだと。結果を残せば、英語ができなくても何も言われないだろうし、逆に周りがついてくるのではと考えたのです。もともと僕は自分から相手に話しかけていくタイプではなかったし、仲間に入れてもらうために自分のスタイルを変えても仕方ないと思いましたから。
 ただ、野球を頑張るのは当然として、やはり英語ができないとコミュニケーションを取れないので、専属の通訳をつけてほしいと球団に要求しました。開幕当初は通訳がいなかったのですが、1ケ月後にジェフ山口さんという通訳をつけてもらいました。最初の試合でホームラン打たれましたが、その後19試合連続無失点の記録を作ることができたのも、通訳が来るまで何としてもいいピッチングをして認められたいという気持ちが強かったからだと思います。
 昨年4月21日のニューヨーク・ヤンキーズ戦でクローザー(抑え投手)を任されて初のセーブを記録した時、チームメートの信頼を勝ち取ることができたと確信しました。それまでは英語ができないうえに通訳もいなかったので、チームメートと会話もなく、よそよそしい雰囲気でした。それが、あの試合の後、「岡島よくやった!」「頑張ったな!」と受け入れてくれて、チームに溶け込むことができました。僕に対するファンの声援も大きくなっていたし、本当の意味でボストン・レッドソックスの一員として仲間に加えてもらえたと感じました。


−−なぜレッドソックスに入団したのですか。

 FA(フリーエージェント)の権利を得て、当時在籍していた北海道日本ハムファイターズに残留するか、もしくは在京球団に戻ってプレーしたいと考えていました。ところが日本では中継ぎ投手の評価が低く、いいオファーがなかった。そんな時、2006年の夏にレッドソックスから代理人を通じて一番最初にオファーがあったんです。その後メジャー数球団からオフィァーがありましたが、「どうしても左ピッチャーが必要なんだ。読売ジャイアンツいる時から見ていたんだ」と熱心に誘ってくれたレッドソックスに入団することを決めました。
 ただ最初は不安だらけでした。ボストンを地図で調べたら、こんなに遠いところに行くのかと。それに英語はほとんどできないし、食事も全く合わないし、飛行機の移動も嫌だし。今でも妻には「じゃあ何で米国に行こうと思ったのよ」と突っ込まれています(笑)。心境としては、長期の海外出張に行くという感じで渡米したというのが正直なところですね。


−−食事も移動も合わなかったのですか。

 はい、食事は全く合いませんでした。僕は大の和食党で肉はほとんど食べません。ところが向こうは肉が中心で、しかも硬いうえに量がすごく多い。ちょっとでいいのに、こんなに食べられないだろうというほど大量に出てきます。しかも味付けが日本と違って結構甘かったりするんです。やっぱり家では妻の手料理を食べているのが一番落ち着きます。家族の支えがなければ、メジャーでやっていくことは不可能でした。
 移動も大変でした。日本と違って、試合が終わるとバスに乗って直接、飛行機の横に乗りつける。それはいいんですが、飛行機は民間機を借りているだけなので、快適とは程遠い。当然ファーストクラスは監督やコーチが使うので、選手はエコノミーです。1人で3人分の座席を使えるといっても、ゴロッと寝ることしかできず、しかも寝返りも打てないので疲れが取れません。専用のソファを入れたり、全部座席を外してフラットにするとか、改造してくれると助かるですが。


−−生活面ではかなり大変だったのですね。ということは将来は日本に戻ってプレーしたいという気があるのですか。

 いえ、プレーヤーとして日本に戻る気持ちは今のところありません。なぜなら、米国の野球の良さを知ってしまったからです。確かに生活面では合わないことが多いですが、こと野球に関してはメジャーでプレーし続けたいと思っています。
 プレーオフは1カ月も続くし、盛り上がりは考えられないほどスケールが大きい。開幕試合はまるでお祭りのようでしたし、オールスターもすごかった。ステルス戦闘機が球場の上を飛んでいましたからね。驚きです。
 イベントもたくさんありました。父の日、母の日はもちろん、ファミリーデーでは、デーゲームの後に、子供たちがグランドに入って遊んだり、外野でバーベキューをしたり、家族へのサービスが日本と比べると段違いに進んでいます。球場にはファミリールームがあり、ベビーシッターがいるので、選手の奥さんたちは小さい子供を預けてスタンドで試合を観戦できます。日本では仕事場に家族を連れてきていいという発想がないので、びっくりしたと同時に、環境の素晴らしさに感動しました。
 また、野球選手に対する尊敬の念も日本とは雲泥の差があります。特にワールドシリーズで優勝した後のボストンの街はすごかった。パレードが終わって食事に行くと「岡島、お前は払わなくていいよ」とオーナーがわざわざ出てきて、おごってくれるんです。頑張ろうとやりがいを持てる環境が本当に整っていますね。


−−松坂大輔投手の存在は大きかったですか。

 チームが勝つためには、大輔君はいた方が当然いいですが、個人的にはあまり影響はありませんでした。奥さん同士は仲が良く、子供たちを含めて一緒にボストンで動物園に行ったりしていたようですが、、僕と大輔君は年も離れているし、特別に仲がいいというほどではありません。
 実は彼とは日本で一度も話したことがなかったんです。しかも彼は先発で僕はリリーフなので調整方法も違います。彼はベタベタするタイプじゃないし、登板の前日や当日は周囲としゃべらない。そういうオーラがでていますから、あえてこちらから話しかけません。もちろん試合が終われば「今日のピッチングはなかなか良かったね」と普通にしゃべっていますが。僕は通訳を相手に日本語を話せますし、遠征に行っても大輔君とご飯を食べに行ったりはあまりしませんでした。彼は肉でも何でも好きですが、僕は和食党なので、無理に彼に合わせるとストレスになるんです。
 成功するためには、極力ストレスをためないことが大事です。そういう意味では英語を勉強しないのも、大輔君とドライな関係でいるのも、理にかなっているのかなと思います。


−−日本人が米国で成功するためには、どんなことに気をつければいいですか。

 自分を信じてやること、これに尽きます。ただ、1人で何でもやろうと思っても絶対に無理なので、いろいろな人に相談してアドバイスを受けたり協力をしてもらうことは必要です。僕の場合は家族と通訳のサポートがあったからこそ、成功できたと思います。
 もう一点、自己主張はしっかりすべきです。こちらから言わないと全く気遣ってくれませんから。9月に肩と腰を痛めて2週間ほど登板しなかった時も、これ以上無理をするとプレーオフで投げられなくなると思ったので、自分から「休ませてください」と言いました。変に我慢してケガがひどくなっても、責任を取るのは自分。言いたいことはしっかり主張する姿勢が成功するためには必要です。


−−メジャーを経験して、日本の野球をどう思いますか。

 選手は本当に楽しいかなと思います。もっと楽しくやってほしい。仕事は絶対に楽しくやった方がいい結果が出るし、楽しくなかったらストレスがたまるだけです。  こう考えるようになったのは、2006年に日本ハムに移籍した経験が大きかったです。当時のトレイ・ヒルマン監督(今年からカンザスシティー・ロイヤルズ監督)はメジャーに近い野球を教えてくれました。具体的に言えば、団体練習が少なくて、個人練習の時間をすごく作ってくれた。だから自分で考えて練習できるようになり、楽しく野球ができたんです。
 この練習は自分に合っているなと思うものを積極的に取り入れ、自分を信じて練習する。それがいい結果につながれば自分も納得するでしょう。これが日本ハムのやり方でした。
 これに対して、ジャイアンツ時代は、上から言われた練習を嫌々やっていました。それで結果が出なくても、結局、自分に跳ね返ってくるんです。ジャイアンツ時代はしっくりこなかったことが、日本ハムに行って分かりました。


−−今年の目標と将来の夢を教えてください。

 今年の目標はもちろんワールドシリーズ連勝ですが、まずはプレーオフに勝ち進み、ヤンキーズに勝って、勢いをつけたままシリーズに臨みたいですね。勢いがなければ、頂点に立つことは難しいですから。数字の目標はありません。1年間ケガをしないで60試合くらい登板できれば、結果は自然についてくると思っています。そのための秘策として新しいボールを覚えました。今の持ち玉が通用しなくなったら使いますよ。「ドキドキボール」と言われていますが、手応えはあります。メジャーでは進化しないと生き残れませんからね。
 将来の夢については・・・自分の夢はないですね。子供たちに夢を与えるのが僕の仕事なので、そのためにも一日一日を大切に生きようと思っています。  人間はいつ死ぬか分からないし、その日その日を頑張るのみです。まずは日本での開幕戦(対オークランド・アスレチックス)でファンの皆さんにいいピッチングを見せられるように頑張ります。是非応援してください。

日経ビジネス Associe 2008年4月1日掲載
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