補綴構造設計士・歯科技工士川島 哲の世界
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「補綴物は雑貨」扱いに疑問
   歯科技工物の海外委託

医療ジャーナリスト 田辺 功

 歯科技工物の海外委託をめぐり、歯科技工士グループが提起していた訴訟は10月14日、東京高裁で「請求棄却」の敗訴となった。一審に続く連敗で先行きは厳しいが、原告は最後の可能性をかけて上告、最高裁の判断に委ねられる。判決が歯科技工士という職種に及ぼす影響は非常に大きく、歯科医療全体の構図を一変させる可能性が高い。その経緯や問題を考えてみたい。

■07年に訴訟を提起
 今回の訴訟は、2007年6月に東京の脇本征男氏(67)ら歯科技工士有志81名によって提起された。歯科医師が専門業者を介して、費用の安い中国など海外の歯科技工所に補綴物を発注するケースが徐々に増えてきている。日本では補綴物を作製できるのは歯科医師と歯科技工士に限られる。歯科技工士は免許制で、歯科技工士法により、歯科医師からの指示書に従って作製し、技工所の設備などにも条件が定められている。ところが、ドイツと日本を除くほとんどの国には同種の資格職がない。海外委託は事実上、無資格者による補綴物の作製であり、歯科技工士法の精神に反している。
 脇本氏らは厚生労働省(厚労省)に実態の把握や改善を求めてきたが、同省は2005年9月、「歯科医師が患者に十分説明すれば、海外委託物でも問題ない」との趣旨の通達を出した、国外には法は及ばない、といった容認答弁に終始した。
 東京地裁への訴状はこうした背景を述べながら「海外委託が禁止されることにより歯科技工士の地位が保全されるべき権利がある」とし、1億3,600万円の損害賠償を請求する内容だった。

■判決は門前払い
 これに対し、東京地裁は2008年9月、「争訟性がない」との理由から「請求却下」の判決を出した。
 判決文によると、裁判が対象にするのは、権利・義務や法律関係の在否に関する紛争で、法律の適用で解決できる問題に限られる。しかし、原告が求めているものは歯科技工士法の解釈であって、訴訟の対象にはならない。また、歯科技工士法で業務独占を認めているからといって、具体的な利益を法律で保証しているわけでもないので賠償すべきとの理由がない、ということだ。要するに東京地裁は、海外委託の是非の判断を避けて、訴えを「門前払い」したわけだ。東京高裁の判決も基本的には東京地裁の判断を追認した。
 実はこうした判決は予想されないことではなかった。原告側弁護士の川上詩朗氏は高裁判決後の集会で「ストレートではなかったですから」と言いながらも残念そうだった。例えば、海外委託でつくられた義歯によって健康を害した患者が歯科医師と国を相手取って損害賠償を求め、材料チェックの不十分さが背景にあることが判明し、国の容認が問われるーーー。このようなケースであれば、ストレートというか、だれにでもわかりやすい争いの構図になる。
 しかし今回の訴訟については、国が海外委託を容認することで歯科技工士界が不利益を被るのは確かだとしても、個々の歯科技工士が損害額が証明されているわけではないため、かなり観念的な話になってしまう。
 そのうえ、相手は国である。私は40年間、新聞記者をしていて、自分の守備範囲内外の多数の判決を見聞してきたが、国の司法機関である裁判所が、行政とはいえ同じ国の行動をとがめるには、個々の裁判官は勇気を要する。最近、第二次大戦中の翼賛選挙の判決をテーマにした裁判官ドラマがあったが、昔も今も国の圧迫感は強く、明々白々のケースでないと難しい。その逆に、国や警察などのおかしな行動を必死にかばう判決が少なくない。例えば、神奈川県警の盗聴無罪事件や東京の政治的ビラ張り有罪事件などがある。

■問題の課長通達
 判決はともかくとして、私は歯科技工士グループの訴えにはおおいに道理がある、と考えている。
 まず、何よりも、2005年9月に厚労省歯科保険課長が都道府県に出した通達がおかしい。それによれば、歯科医師が海外で作製された補綴物を輸入し、患者に供する場合は、患者に十分な情報を提供して理解と同意を得ればよいとしている。情報とは作成方法や材料の安全性、有効性や国内外における使用実績などだ。例えば材料の安全性1つを取っても、国内の場合は法律で規制されている。しかし、もともと法律のない中国などでは、使用されている材料も安全性データも個々の技工所からの説明があるのみで確認する術がなく、日本の歯科医師には品質を保証できるはずがない。実際に米国では、中国製のポーセレン義歯から、危険があると考えられるレベルの鉛が検出されたと伝えられている。もちろん、中国をはじめとする海外の技工所の安全性が極端に低いとは言えないが、危険んw補綴物が混じることによって患者に危害が及ぶ可能性があることは事実だ。
 私の理解では、かつては歯科医師が患者の口腔内を直接見て、補綴物を作製するのがふつうだった。しかし、歯科技工士という専門職が誕生し、歯科医師は歯科技工士を雇ってつくらせるようになった。歯科技工所が登場すると委託するようになる。問題があれば電話で呼び出せる距離にある。ところが、厚労省の低医療費政策、歯科排除政策が進み、歯科医療は著しく不採算になっていった。遠くても安い技工所に注文が行く。やがて歯科医師は、人件費が格段に安い海外の技工所に発注して利ざやを稼ぐことになる。問題があった際に作成者を呼び出すことも、十分な説明を受けることも困難な距離だ。このようなプロセスで、歯科医療は患者から離れて行く。  脇本氏らは、東京高裁への控訴理由書で海外委託の実態を指摘している。それによると、全国保険医団体連合会のアンケート調査では、7割の歯科医師は歯科技工所を雇用しておらず、8割が技工所に委託している。また、歯科医師の6.5%が海外に委託した経験があり、2005年以降、増加の一途をたどっている。海外委託品は保険診療外との健前だが、11%が保険で支払われている。
 なお、海外委託をあっせんしている業者は、2005年の厚労省通達により、「海外委託を国は認めた」と宣伝している。

■歯科技工士の消滅
 海外委託が常態化することによって、最終的には、日本の歯科技工士制度は崩壊し、廃止に向かう可能性が高い。
 日本の半分から数分の1の価格で海外の技工所に委託できるなら、ほとんどの歯科医師が海外に委託することになるだろう。また、経済状況があまりよくない時代、価格表を示して患者に確認すれば、「安い中国製でいい」という患者が出てこないとも言えない。厚労省自身も、医療費切り下げの手段としてみている可能性だってある。そうなるならば、歯科技工士は不要の存在になるのは確実だ。

■薬事法の不思議
 正直言って、私は、厚労省の見解に疑問を持っている。私は歯科技工の海外委託問題をテーマにした2008年と今年8月の2回のシンポジウムに招かれ、いずれにおいても薬事法について言及した。
 厚労省は2005年4月から薬事法を改正して、格段に規制を強化した。欧米ではオゾンやレーザーを活用した歯を削らない歯科治療が花形になってきているが、わが国では新薬事法で規制強化に伴う経費が増え、ますます新しい医療機器の輸入販売が難しくなった。例えば、輸出元である海外企業の機器製造工場が日本のさまざまな規格に適合するかどうかを現地調査も行う。当初はその海外企業の役員が精神疾患に罹患していないことの証明書まで求めていた。  一方で、今回の訴訟のやり取りのなかで、信じられないことに補綴物は「医療機器」ではなく玩具やティッシュペーパーと同じ単なる「雑貨物」との位置付けだった。雑貨物だから、歯科医師は自由に輸入してかまわない、という論法が展開されたのだ。
 歯科用の金属や歯冠材料はれっきとした「医療機器」で、薬事法の規制を受ける。インプラントも陶歯も同じだ。厚労省の医療機器審査管理室によると、薬事法の示す医療機器は「診断・治療器具」と「体の機能に影響する」もので、広く使われるものが対象という。材料は広く使われるから対象だが、義歯などの補綴物はというと、オーダーメイドなので適用外になる。
 「眼鏡レンズは医療機器だが、眼鏡は薬事法除外」だが「コンタクトレンズは適用」との論はわかりにくい。「個人に調整ずみの補聴器は再調整できるから医療機器」だし、「義眼は機能が向上しないので医療機器ではない」など、線引きはあいまいだ。厚労省は補綴物による口腔機能向上をあまり高く評価していないらしいことが感じられた。
 材料や診断・治療器具に薬事法を適用するのは、安全性の担保が目的の1つである。不要な規制は減らすべきだが、それが患者1人ならどうでもいい、という考え方には疑問がある。歯科医師や歯科技工士は、そのうち「実は雑貨品をつくっていまして」などと自己紹介するようになるのだろうか。
 いずれにせよ、歯科技工の海外委託の容認は、常識から考えて納得しがたいのは事実だ。国内では無資格者の技工を禁じ、違反者には罰則を課しているのに海外は全くのフリー、日本では都道府県知事が技工所の指導監督をするのに海外は放任、というのでは明らかな二重基準だ。これがまかり通るならば、各種検査や放射線画像などをはじめ、許認可の壁を越えたさまざまな海外委託が現実化しそうだ。
 今回の訴訟では、日本歯科技工士会が終始大きな関心を示さなかったことも、部外者から見ると非常に不思議だった。福島県立大野病院産科医逮捕事件での無罪判決は、全国の産婦人科医が結束したことが大きく影響したように思う。歯科技工士は、自身の明日を左右する問題への関心さえ失ってしまったのだろうか。

DENTAL TRIBUNE 2009年12月 掲載
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