(故)古賀壮一君の“偲ぶ会”と“一周忌法要”を終えて

PSD協会 内田博孝
2011年1月1日

古賀さんがまさかの事故に会うなんて、あなたが突然に私達の前から姿を消してしまうなんて信じられません。ましてやいつも慎重な古賀さんが自転車事故なんて、最初は事故もただの接触かなと思いました。
 理事長の勧めで始めたのに、古賀さんは体が少し弱くその為に始めたのに朝健康の為に始めた自転車なのに、なぜ?車と正面衝突と聞いてまた驚き呆然としました。すぐにとりあえず唐津に行く段取りをして、また従業員から連絡がありドクターへリーで嬉野の医療センターに運ばれたことで嬉野に行きました。自分の所から150`くらいあり、いって見るとまだオペ手術中だったので待ち合い室で待ち六時間の時間がたち今晩がやまとのことで待ちました、合間に病室ICUに行き声を掛けに行くと横で一人娘の愛望ちゃんが声を出して励ましていました。かわそうな光景でした。朝まで持ちこたえ、一息越えたので安堵のつかのま、八時すぎに残念ながら息を引きとりました。本人も無念だったと思います。なぜこんなことで死ぬのかと、きっと、まだ自分はやることがあるんだと叫んだと思います。涙、、、、、、
 自分と古賀さんのつながりは、彼が27年前位に東京医科歯科の技工部後の北九州(有)第一デンタルに入社後に知り合い研修会やスキーや釣り、ダイビングなどで仕事の疲れを癒しつつ楽しみました。古賀さんはいろいろ物事には総じて凝り性でした。自分が納得するまでやり研究心も旺盛でした。
 ダイビングでは年二回ぐらい遠方に鹿児島の枕崎や熊本の牛深や福岡、糸島、恋の浦、芦屋 山口 蒲江などにボートをトレーラにのせて鹿児島まで行きました。とても楽しかったことが思い出されます。1993年エス・ケー・クラウン開業し歯冠修復で始めたが、その後、義歯をすることを決意しました。
 川島セミナーでは古賀さんから誘いがあり、これからは特殊な技術をやらないといけないと相談が有りました。自分も何かをと思っているところで意見が合い受講することにしました。セミナーを受ける中で、わからないままで川島先生に教えてもらいながら古賀さんは今までは歯冠修復を主にしていたのでキャストパーシャルは始めてで事前に勉強をして自分の所にも来て回数をかさねる中で、いろいろ川島先生に難解な質問をするなか、みんなも質問をしてくれてありがたいことでした。川島セミナーを卒業すると、もう突進で頭角を現して、平成12年3月に川島先生の紹介で、早稲田トレーニングセンター九州校でキャストパーシャルを教えることになりました。その後は松風社で古賀道場を東京と京都を駆け回り自らを追い詰めて成果を出しました。
 コバルト床をする中でGOLD床もして、さらにはボランティア活動」をして、フィリピンやラオスに福岡の先生と行き活動していました。川島先生とドイツのBEGO本社に研修など、なんとなく痩せたかなと?
 川島先生のお声賭けで(故)古賀壮一君の“偲ぶ会”を平成22年8月28日(土)唐津市の木村館でPM19時より開催することができて感謝しております。開催発起人はPSD協会(理事長)川島 哲 (副理事長) 奥森健史 大橋文男 八巻賢一そして地元代表の私こと内田博孝です。生前、交流のありました仲間たちで彼の功績や人となりを思いながら生誕の地で集まり壮一君を偲びました。参加人数35名にのぼりあり難く思います。
 八巻賢一氏の司会進行で、入場 献花 黙祷 遺族挨拶 お別れの言葉 ビデオ上映 懇談会食 親族挨拶 ご遺族へ記念品贈呈 閉会。時間の経つのも早く。遠方の北海道 東北からも参加下さり、ありがとうございました。
 今日までの積み重ね続けた(故)古賀壮一君の輝かしい実績を、これからも、生ある人達で受け継ぐことが使命だと私は思います。御参集そして御支援下さり誠にありがとうございました。
 後、平成22年11月28日に一回忌法要がとり行われ壮一君の話題で一日が過ぎました。 従業員一同、背筋を伸ばして、これからもエス・ケー・クラウンを守り立てていくことを、お願いいたします。みなさんにおかれましては、壮一君の生前は、大変お世話になりました。
 1980年  広島大学歯学部付属歯科技工士学校卒業
 同年 広島大学歯学部付属病院にて一年間研修
 1981年 東京医科歯科大学歯学部付属病院技工部勤務
 1983年 (株)第一デンタルラボラトリー入社
 1993年 (有)エス・ケー・クラウン開業
 1999年  第11期 補綴構造設計士臨床セミナー
 2001年  早稲田歯科技工士トレーニングセンター(九州校)
 デンチャークラス代表就任
 2004年  日本歯科技工士会 認定講師
 2006年 (PSD)日本補綴構造設計士協会 師範講師