東日本大震災での被災状況の報告書
2012年3月18日「PSD東日本チャリティー学術大会in仙台」の
講演会場にて講話

平成24年3月18日
PSD会員 鈴木 雄氏

未曾有の大震災より一年が過ぎまして、先週も各地で鎮魂の追悼式や、地元でも慰霊祭などが開催されました。
 改めて亡くなられた方々に、深く哀悼の意を表すとともに、被災された地域の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 私の住んでいる所は、岩手県釜石市で、昔より鉄の町として発展しまして、新日鉄釜石ラグビー部の全日本7連覇で、ラグビーの町としても知られております。
 勤務しておりました大和田歯科医院は、釜石より北に10キロ程のところにあります。漁業を中心とした小さな町です。
 あの日は午後の仕事を開始してから暫くして地震が発生しました。今までの地震では物が棚から落ちるようなことはありませんでしたが、今回は時間と共に揺れが強くなり立っていることもできずに、ただ机にしがみつくのがやっとでした。
 地震直後は、スタッフや代診の中島先生の安全と火の元や周りの状況などを確認しました。
 直ぐに停電になったためラジオは聞けず、ワンセグも電波が入りづらくなっていました。情報がなかなか入りらないなか、大和田院長の奥さんが院長先生を車いすに乗せて非難するところでしたので、スタッフも一緒に避難しました。大和田院長は四年前に脳出血で倒れてリハビリ中でしたが、右半身と言葉がまだ回復していない状態でした。
 前々日も震度六の地震があったばかりでしたが、その時は津波警報が出されても数十センチ程度なので、
 まったく津波のことはあたまにありませんでした、ましてや病院は海岸より1キロ位離れていたので安全だと思っていました。技工室が足の踏み場も無く散らかっていたので、本などを方つけていました。
 中島先生に「鈴木さん、私たちもとりあえず避難しましょう」と声を掛けられ、院長のアシストもしなければならないと思い、軽く荷物をまとめて避難しました。避難所は病院より北に150mほどのところにある大念寺というおてらで、近くだったので直ぐにみんなと合流することができました。
 最初は念のためという気持ちでの避難でしたが、暫くして秋田に居る院長の娘さんから3mの大津波警報がでていると、奥さんの携帯に連絡が入り「えーホントかよー」という思いでした。3mの津波でもここまでは来ないだろうとまだ高をくくっていました。
 そのうち、遠くのほうから走って逃げてきた人が、「津波だー、上に上がれー、上がれー」と言う声がして、慌てて院長の車いすを持ち上げ、坂を駆け上がりました。
 目の前には大槌小学校の大きな建物があり、その屋上越しに土煙が舞い上がっているので、何だろうと思っていると建物が流され倒壊して、土煙が舞い上がっているのでした。津波だから水しぶきが上がっているのかと思いましたが、実際水が見えたのは直ぐ近くに来てからでした。
 津波は土煙と豪音を上げながら瞬く間に町をなめ尽くし、目の前の歯科医院も押しつぶされながら流されるのが分かりました。
 目の前の惨状がまるで映画でも見ているような感じで、現実感がわかず、ただ呆然と眺めているだけでした。何が起きているのか事実を受け止めるのができずに「何なんだこれは!何なんだよ!」と言うしかありませんでした。瞬く間にあたり一面が海になってしまい、火災も発生したために近くにある大きい避難所になっている中央公民館に移動することにしました。
 雪の降る寒い夜で、底冷えのする体育館で、何度も起こる余震にびくびくしながら眠れぬ夜を過ごしました。火災が町中に広がり、時々プロパンガスの爆発する音が静かな町に響き渡りました。翌朝には、自衛隊の災害救助隊が到着し、救助作業と火災の消火活動が始まりました。火災で焼け焦げた瓦礫の上を歩きながら釜石の自宅に戻れたのは三日目の昼近くでした。
 暫くして親戚の家に避難していた妻と子供たちが戻ってきて、涙の再会となりました。
 現在は釜石の工藤歯科クリニックに勤務しております。工藤院長も海岸近くの診療所を被災してしまいましたが、昨年七月よりクリニックを再開されました。
 工藤院長は大和田先生の後輩で何度か私とも面識がありもしよかったら働かないかとお声を掛けていただき、今回お世話になることになりました。しかし、診療室、技工室とも仮設の域を超えていないので、いつかまたキャストパーシャルのできる環境まで整えたいと思っております。
 この一年を振り返りまして、いろいろな社会の変化や、生活環境などが変わり、正直、体よりも心が疲れた一年でした。被災地や被災者のニュースを見るたびに何度も何度も泣きました。この震災で余りにも多くの尊い命や物を失いました。しかし反面、人との絆や出会い、多くの大切なものも与えられました。そして気ずかされたこともあります。
 当たり前にそこにあって、空気のような存在こそ実は物凄く大切なものだったとか、多くの人たちから心配していただき自分は幸せだなって感じたことです。そして何より家族の健康や仕事や勉強できることのありがたさをかんじました。
 被災時は川島理事長はじめ各会員の皆様方に御心配をおかけし、安否確認や、就職先を探していただいたり、義援金募金の中心となって活動いただいた執行部の方々には言葉に言い尽くせないほど感謝しております。この場をお借りしてお礼申し上げます。
 本当にありがとうございました。
 地元の被災地を見ますと復旧、復興には程遠い現実ではありますが、皆様のお力を少しでもいただき一歩一歩ずつ前に進んでまいります。今後ともご支援をよろしくお願い申し上げます。